2022.04.18 ロスキレ大聖堂
こんにちは
コロナから蘇りしぽて子です。屍(貯めに貯めた下書き)を踏み越えて今日はロスキレ観光について書きます。
コペンハーゲン中央駅でチケットを買い、20-30分ほどかけてロスキレ駅へ向かいました。目的はもちろん世界遺産のロスキレ大聖堂を見ることですが、時間があったのでグーグルマップの「ランドマーク」に表示された場所も周ります。ぽて子はグーグルマップ信者なので、グーグル大先生が「ここがランドマーク」と言えば、そこは観光箇所です(暴論)
まずは駅近くのオブジェ。この落書きされた壺には、Henrik Nordbrandtの詩集「Dream Bridges」の中の「Junker Kristoffer」の抜粋が刻まれているようです。Wikiによれば、この詩集は2000年の北欧理事会文学賞を受賞しているので、芸術的で高度な内容なのでしょう。日本語訳は無かったので英語訳を探しましたが、2、3回の検索で出てこなかったので早々に諦めて次へ向かいます。
https://ja.wikipedia.org/wiki/北欧理事会文学賞
D国でもようやく桜が咲き始めました。最近は天気の良い日は10度くらいになります。暖かくなり、日照時間も延びてきたので嬉しいです!
ロスキレに限らず、店外に花を飾る花屋が多くてがかわいいです。飾る花瓶がないので買ったことはありませんが、花束を抱えている人々を眺めるだけでも大満足です!多分ぽて子は時代が違えば、鰻屋の香りでご飯を食べていたタイプの人間でしょう。
旧市庁舎です。中には入れなかったので外観のみ。家の近所の市庁舎に似ているので親近感が湧きました。D国内の旧市庁舎はどの街も似ているような気がします。サンプル数は5です。
旧市庁舎の前の広場(Stændertorvet)には、カラフルな牛のオブジェが設置されていました。よくわかりませんが近くにあった解説によれば、牛のツアーの出発地がロスキレのようです(???) 写真はツアーに参加する牛たちです。(え、まさか本物の牛のツアーではないよね…???)
ロスキレ大聖堂
さてここからはメインイベントの「ロスキレ大聖堂」の内部です。チケット代40DKK(≒735円)の元を取るかのようにじっくりねっとり見て回ります。円安がつらいです。渡欧直後の為替レートなら約692円だったのに…D国が現金社会で、留学開始とともに大量換金をしていたら今頃お金持ちだったかもしれません。ぐぬぬ。参拝者を写さなければ写真はいくらでも撮っていいとサイトに書いてあったのでたくさん撮ってきました。
ロスキレ大聖堂にはD国の歴代国王が葬られています。また、木造聖堂をゴシック様式とロマネスク様式を併せ持つような形で建て直しているため、10世紀から12世紀の聖堂建築の変遷を肌で感じることができます。そのため、世界遺産詳解の解説にもあるように「ヨーロッパの宗教建築史を知る上で重要な建築物であることが評価され」世界遺産に登録されました。
D国の歴史には疎いので解説を読んで初めて知ったことばかりです。聖堂の中央奥にはマーガレット1世の棺があります。
マーガレット1世の棺
解説より:Valdemar4世の娘。10歳でノルウェーの王子と政略結婚。22歳の時に王である父が亡くなると、息子のOlufが大きくなるまでデンマークを支配した(あくまで息子の母として)。しかし10年後に夫と息子が亡くなると、「Soverign Lady and Ruler」としてデンマークとノルウェーの王位についた。
聖堂のサイドの小部屋に棺が置かれています。棺一つ一つに時代背景や主の性格が表れていたのが印象的でした。全ては写真に収めていないのですが、左上から順に、
です。文字が写真にかぶっているので、文字無しバージョンも貼ります!
◆Christian 3
解説より:クリスチャン3世がルーテル派だったため、貴族たちは彼の国王即位を拒否。クリスチャン3世派とクリスチャン2世(王)派の間で内戦が勃発し、3世派が勝利を収めた結果、ルーテル派の教会がD国で広がった。(カトリックは禁じられた)
棺の作成には11年を要した(横領や盗難などにより)。棺を囲っているのはローマの護衛で、横たわっているのは「審判の日(Judgement Day)」を待つ王の像。上の像は王が神と人との懸け橋であることを表している(多分)。
◆Frederik 3
解説より:フレデリック3世が即位した時点で国はほぼ破産状態だった。貴族は3世の権力を大きく制限することを条件に即位に賛成した。フレデリック3世はスェーデンとの戦争を始めたが、悲惨な結果については貴族のせいにした。国を守る有志に感銘を受けた中産階級の熱狂的な人気を利用し、選挙王政から絶対王政へ切り替えた。以降全ての決定を一人で行った(貴族と権力をシェアしなかった)。1849年に絶対は廃止されたが現在でも世襲王政は続いている。
フランスの影響を受けた豪華なバロック様式の棺。側面はデンマークの鎧で飾られており、エレファント勲章が下げられている。正面にはローマ皇帝として描かれた王がmilitary standards、鎧、捕虜に囲まれている様子が描かれており、背面には「年老いて髭と翼の生えた男性」によって「死」が描かれている。
追加情報:https://ja.wikipedia.org/wiki/フレデリク3世_(デンマーク王)
◆Christian 10
◆Christian 9 & Louise
◆Frederik 6
◆Christian 8
◆Christian 7
◆Frederik 8
・・・いっぱいダァ(諦め)
list of Danish monarchs | Britannica
この部屋だけ他の部屋とは打って変わりデザインが描かれていました。緑豊かなブドウの木らしいです。
よく見ると人の顔でびっくり。不気味。。。
イタリアの教会に比べると全体的に質素なデザインが多い印象です。この星が描かれた天井を見て、バチカンの「システィーナ礼拝堂」の天井が元々夜空の絵だったところをミケランジェロのフレスコ絵画で修復された話を思い出しました。人気のデザインだったのでしょうか・・・?
部屋によってスタイルが大きく異なるのが不思議。。。
王の扉 (左:内、右:外)は結婚式・葬式・堅信礼後の出口としてしか使うことができません。入り口として使われるのは王室訪問の時のみです。
ロスキレ美術館
美術館には15時ごろに着いたのですが、店員さんが「閉館まで1時間しかないからゆっくり回れないでしょう。半額にしておくね」と気を利かせてくれました。提案をされたときは突然の優しさに驚いて、利益は大丈夫なのかとか悪い人に捕まらないで欲しいとか変な考えばかりが脳内を駆け巡っていました。
館内はぽて子しかいませんでした。静けさに包まれた美術館って意外と怖いですね。自分の足音に怯えながら鑑賞しました。人骨やミイラがポーンと置いてあってビビりました。怖かったので美術館RTAをプレイしているのではないかと錯覚するくらいの速さで回りました。ロスキレが栄えた時代の学校教室を模した部屋に入ると、私に反応して自動音声とBGMが流れ始めたのですが、心臓が止まるかと思いました。30分もかからずに全ての部屋を回ることができました。RTA成功です。。。
旧市庁舎前の広場でご飯が食べられそうだったので、オープンサンドを食べました。D語では、「Smørrebrød」と言うのですが、「Smør」がバターで「Brød」がパンなので、直訳ではないのが面白いです。以前D国の友人に「オープンサンド大好き」と伝えたところ、「オープンってなんやねんと毎回思う」と言っていました笑
ロスキレは私が留学以前にイメージしていたD国の街並みという感じの華やかさでした!人は少ないですが、カラフルで本当に可愛いです。
さいごに
はぁぁぁぁほんっとうにかわいい街でした!テスト期間に入る前に下書きを書き上げていこうと思います。途中で解説を諦めた人がいたような気もしますが、気のせいだと思い込むことにしましょう。。。